学校がしあわせをわかちあえる場所でありつづけるために…

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中教審特別部会の「審議のまとめ」が大きな話題になっています。そのため、道教組ホームページで発信している情報もおのずと、関連する情報が多くなりがちです。

こうした中で、X(旧Twitter)で次のような投稿をみました。

先生方は自分達の働き方の魅力を発信しないと、これから新たに先生になろうする人が続かなくなるよ

たしかに、中教審特別部会が「審議のまとめ」として出してきたことに対して、現場のリアルを伝えようとすると、ブラックな側面がめだってしまいます。

この週末に実施したTwitterデモでは、意外にも「給食時間は休憩時間じゃない」というバナーが広く活用されました。「学校の先生業界」では当然のことでも、案外知られていないリアルってたくさんあるものです。この機会に、たくさんの方が「そうだったんだ」と思っていただくことは、学校の先生が生き生きと働くことができる社会の実現のために、必要なことなのです。

先生が生き生きと働く学校って、子どもたちにとってみれば「しあわせな場所」であるはずです。

2020年のコロナ禍がはじまった頃。道教組は学校づくり関する提言を発表しています。
子どもたちが生き生きと学べるコロナ収束後の学校づくりを…」というものです。

子どもたちにとって「生きる」とは、学ぶことであり、学校に通うことだと気づかされます。子どもたちにとっての学校という場所が持つ意味は、私たち大人が考える以上に大きいのです。

~中略~

学校は「教育・福祉、そして医療」という社会基盤がそろっている場所です。仲間と関わり学び合い、美味しい給食に心と体を満たし、気持ちや体調がすぐれない時には養護教諭の先生やスクールソーシャルワーカーの方と腹を割って話したりすることもできます。
学校には、子どもたちが幸せを分かち合えるような営みを作り出す力があります。学校は地域の真ん中にあって、子どもたちに関わる大人をつなぐ場所でもあります。集う大人たちが「この地域で子どもたちをこんなふうに育てていきたい」という願いと力合わせがあります。

子どもたちが生き生きと学べるコロナ収束後の学校づくりを… 2020年5月25日 全北海道教職員組合

この文章の冒頭には、当時小学5年生だった子どもの詩が紹介されています。

こうした「学校という場所の意味」は、コロナ禍だからというわけではなく、昭和の時代からずっとそうだったのです。そして、これからもそうであらねばならないのではないでしょうか。


たとえば、コミュニティ・スクールの制度化や、近年増えているさまざまな立場の会計年度任用職員さんが学校にいるようになったというような変化はあります。そのうえでも、学校という場所が子どもたちにとってしあわせな場所であることは、これからも変わらないと、私たちは信じています。そして、そこで働く私たち「学校の先生」が、教育とは何か、学校とは何かを考えながら子どもたちの前で生き生きと実践ができるよう、学校のリアル見える化プロジェクトを進めていきます。